大判例

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最高裁判所大法廷 昭和36年(あ)485号 判決 1963年5月15日

判   決

成就院住職

西田覚蓮こと

西田ヤエ

明治三八年一二月一四日生

右の者に対する傷害致死被告事件について、昭和三五年一二月二二日大阪高等裁判所の言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人小林康寛の上告趣意第一、第三および第五について。

(中略)

同第二、第四および第六について。

所論中憲法違反の主張につき考えるに、憲法二〇条一項は信教の自由を何人に対してもこれを保障することを、同二項は何人も宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されないことを規定しており、信教の自由が基本的人権の一として極めて重要なものであることはいうまでもない。しかし、およそ基本的人権は、国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためこれを利用する責任を負うべきことは憲法一二条の定めるところであり、また同一三条は、基本的人権は、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする旨定めており、これら憲法の規定は、決して所論のような教訓的規定というべきものではなく、従つて、信教の自由の保障も絶対無制限のものではない。

これを本件についてみるに、第一審判決およびこれを是認した原判決の認定したところによれば、被告人の本件行為は、被害者泉世志子の精神異常平癒を祈願するため、線香護摩による加持祈祷の行としてなされたものであるが、被告人の右加持祈祷行為の動機、手段、方法およびそれによつて右被害者の生命を奪うに至つた暴行の程度等は、医療上一般に承認された精神異常者に対する治療行為とは到底認め得ないというのである。しからば、被告人の本件行為は、所論のように一種の宗教行為としてなされたものであつたとしても、それが前記各判決の認定したような他人の生命、身体等に危害を及ぼす違法な有形力の行使に当るものであり、これにより被害者を死に致したものである以上、被告人の右行為が著しく反社会的なものであることは否定し得ないところであつて、憲法二〇条一項の信教の自由の保障の限界を逸脱したものというほかはなく、これを刑法二〇五条に該当するものとして処罰したことは、何ら憲法の右条項に反するものではない。これと同趣旨に出た原判決の判断は正当であつて、所論違憲の主張は採るを得ない。

その余の論旨は、単なる法令違反、事実誤認の主張を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお、被告人の本件行為が、刑法三五条の正当な業務行為と認め難いとした原判決の判示は、その確定した事実関係の下においては、当裁判所もこれを正当と認める。)

記録を調べても、刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

昭和三八年五月一五日

最高裁判所大法廷

裁判長裁判官 横 田 喜三郎

裁判官 河 村 又 介

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 池 田   克

裁判官 垂 水 克 己

裁判官 河 村 大 助

裁判官 下飯坂 潤 夫

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 石 坂 修 一

裁判官 山 田 作之助

裁判官 五鬼上 堅 磐

裁判官 横 田 正 俊

裁判官 斎 藤 朔 郎

裁判官 草 鹿 浅之介

弁護人小林康寛の上告趣意

第一、(省略)

第二、原判決は審理不尽経験則違反に依る重大なる事実の誤認であり且つ憲法第二〇条第一項に違反するものである。

弁護人は控訴趣意書の第一、予断偏見に基く誤認、第二、審理不尽経験則違反に依る事実の誤認、第三、採証法則の違反と証拠の取捨並に証拠価値判断の誤りに依る誤認と題し詳細に亘つて第一審判決に対し弁護人の見解を述べたのである、然るに原審は

『しかし原判決挙示に依れば原判示事実は優にこれを認めることができる、即ち(中略)

所論はいづれも独自の見解に立つて原審のなした適正な証拠の取捨選択と其の価値判断とを批難するもので採用することができない』云々と判示して居る。

弁護人は第一審判決並に原裁判所が重大なる事実の誤認に依り判決を為したるかに付煩をいとわず其の見解を述べることとする。

第一審裁判所は犯罪理由の二、に罪となるべき事実の題下に……

(一) 『被告人は昭和三十二年十月始め本件被害者である世志子……右世志子は急に異常な言動を示す様になつたので……これが平癒の為めに加持祈祷をして貰いたい旨依頼され……経文を唱え珠数で体をなでる等して祈祷をなしたが一向に治癒しそうにないのを見るや同女には大きな狸がついて居て容易なことでは落せないのでこの上は所謂線香護摩を焚いて加持祈祷し狸を追い出すより外に方法はない』云々と判示して居るが、

(1) 昭和三十二年十月とあるのは、昭和三十三年の十月であつて経文を唱え珠数で体をなでる等して祈祷をしたと示されて居る。

(2) 『世志子は急に異常な言動を示す様になつた』との表現は文字としては余りに簡略に過ぎる。世志子が精神病者としての狂態を演じ其の容相は古来世上に喧伝されて居る狸つきと称せらるるものであつたことは中本スミ子(世志子の叔母)が昭和三三年十月二四日池田警察署に於て司法警察官森良明に対する供述には、

『三、泉熊次方の姪の恵美子から世志子の病気と言うことを聞きまして、早速く田尻と一緒に兄熊次の家に来まして、世志子の病気の状態を見ましてから、恵美子から精神病の様な容態であると聞きましたので、私はこの話しを聞いて医者にかかるよりは私の信仰して居ります先生の方が早くなおして呉れると思つたので、その足で先生方に行き西田覚蓮先生に会いまして御願いしましたものであります、と申しますのは今から三、四ケ月前に、私方近くの西区本田町の小林さんと言う人が狸がついていたのを先生方に、私が連れて行つて祈祷して貰いまして一遍に落して貰いましたことがありました。この狸というのは、小林さんの奥さんで女であり乍ら一日一升以上の酒を飲みまして目が変でしたのが祈祷して貰うと翌日から家の用事するし酒も飲まん様になりました。

この様なこともありましたので私は先生方に世志子のことをお願いしました。私と恵美子などはこら『どたぬき』と一日何回となしに言うておりました。世志子の病状は、夜は殆んどと言つてよい位寝ません、昼は多少寝る時もあります。食事は食べる時と食べない時があります。興奮すると家の外に行こうとはしませんが家の中をぐるぐる歩き廻るのと、古いことを言うたり、訳のわからんことを言うたり、暴れると言うのは歩き廻るのを止め様とするから自由になろうとして暴れます』云々と、

『六、十三日午後八時三十分過ぎに兄の家に着きまして、私と田尻は単車で先生達の乗つておる自動車と一緒に着きました、兄の家の玄関を這入りますと、嫂嫁が表に出ておりましたので、私が世志子はどうやと尋ねますと、今迄暴れて松の木に登りかけたり、椽の下に這入ろうとしたんやと言うておりましたので、私は直ぐ皆さんに上つて貰いまして(表六帖の間)から、私は世志子のことが気にかかりますので六帖の間から八帖の間に行くと、表の椽のところに世志子が泥々の姿で立つて居りましたのでぞうきんを持つて来て世志子の手や足を拭いてやりました。その時兄が田尻かが先生に服が泥々やから換えさしましようかと言うとそうしなさいと言つたので泥々になつていたパヂヤマとシヤツとブラウスを脱してトレパンとブラウスの長袖シヤツを恵美子と私とで椽のところで着換えさしました、此の時私が世志子の体を見ますと手と足の下の方に青い斑点が沢山ありましたのが目に付きました』

『十、私が前述に申しました十月四日の午後一時頃に先生方の神前で世志子が倒れて手拭で冷してもらつてから後に先生は私に

世志子さんは血圧が上つているから下げる注射を医者にして貰いなさい

と言われました、先生方から帰ると兄方では太田医師が待つて居られて世志子を診察して呉れましたので私が血圧の下る注射をして呉れと言いました、先生はその注射はしてあると言い薬にも合してあると言いました、其の月からは太田先生は来られません。』

『十一、只今申上げましたのは私が第一回に申上げました事を補充致しました様なものです』

同人が昭和三十三年十月十八日池田警察所に於て司法警察官森良明に対する供述には

『午後十二時前だと思いますが、おごまの途中で世志子が表仙裁に飛び出して椽の下へ入りかけたり仰向けに寝て手を振り暴れかけたので兄と田尻で腰紐でもみの木に縛り付けました、皆はごまが続けられんので止めました、世志子をもみの木に十分位縛つて置いてから田尻がといてやりました』

同人が昭和三三年十一月四日大阪地方検察庁に於て生駒検事に対して

『夜十一時頃世志子が急に逃げ出して椽側から庭へ飛び出し椽の下にもぐろうとしたりしました、兄や武部さんが捕まえ木にくくりつけました』

山下ミチノが昭和三十三年十月十七日池田警察署に於て司法警察官佐々木二郎に対して

『泉さん方についたのは午後八時半過であつたと思います。泉さん方につくとすぐみんな玄関の間に這入つて座りましたが間もなく泉さんのお父さんがこられて

先生暴れて松の木に登つてえらいめにあつた見て下さいと言うので見るとシヤツ一枚でズボンに土がついてどろどろに汚れていました。

先生はそうか世志子さんが可愛想にと云つておられました』

中井卯三郎が昭和三十三年十月十七日司法警察官七田進に対する供述調書

『私が先生の家でみた娘さんの様子は自分でもタヌキがついているんや等言つてタヌキの格好を自分でしたり室の中を走りまわつて戸にぶつかつたりしていました、一度だけコツプを投げつけて割つた事があります』

田尻俟夫が昭和三十三年十月十四日池田警察署に於て司法警察官竹本彰に対する左の供述をして居る。

『娘の世志子は何かわけのわからない事を云つていました、そして十四日午前〇時四十分頃に加持祈祷が始まりました、すると死亡した世志子がひどくあばれ出しましたので叔父と私が静かに静かにと云つていました、だけどますますあばれ出しましたので、叔父があばれられないように押えていましたが、なかなかひどくあばれますので、私も手や足を押えていましたがなかなか足や手で押えていても力が強かつたので私はその死亡した娘の手を後ろにまわしておさえつけた事もあります、そして静かになれば手をはなして座らしていますが祈祷がはげしくなりましたら又娘があばれ出しましたので居合せた人が、かわるがわるその娘を押えていたものでありますが傷がつく様うに押えていませんでした』

秋田鑑が昭和三十三年十月十七日池田警察署に於て司法警察官和田清六に対する供述調書

『それから二回目に焚いて間もない頃と思いますが世志子さんが暴れだすから、先生は、静かにしなさい、と言うと田尻さん泉さんが手を後手に縛つていました、それから世志子さんがダンダンおとなしくなつて元気がなくなつて来ました』

其他前審公判に於て各証人が世志子は強度の精神異常者であることを証言して居る、然るに判決理由に示されて居る表現は軽症的で単に異常な言動を示すと言う様な単純な病状でなかつたことは明らかな事実で原裁判所は採証法則違反に因る事実誤認をして居る。

(3) 『経文を唱え珠数で体をなでる等して祈祷をなしたが』云々、斯る裁判所の観念は被告人の奉持する真言密教の加持祈祷、護摩の本質を理解せない為めに起つた誤謬であつて口に経文を唱え手に珠数を持つと言う外見の様相を見て判断の資料に供すると言うことは当を得たものではない。

弁護人は第一審に於て上申書の第一、第二、第三として加持祈祷護摩の本質に付詳述すると共に弁論に当つても其の見解を述べたのであるから、当審に於ても敢て之れを反復するの要はないのであるが、被告人は加持感応の効験を現わすが為めには如何にするかと言うと、真言密教の方法である手に印を結び、口に真言を誦え、意を三昧に住する所の三密瑜伽の秘法によつて加持祈祷を行つたものである。

(二) 被告人は宗教師である、真言密教たる事相の行者である。

被告人は真言宗山階派の宗制に基き弘法大師の立教開宗の宗義に基き真言秘密の教義を宣布し儀式の執行を本務とする宗教教師であり尚被告人の住職たる成就院の本山は後伏見天皇の皇子寛胤親王以来皇族より出でて住職となり最後は元治元年済範親王が還俗して山階宮菊磨王と号するまでは歴代親王を長吏として宮門跡と称せられた真言宗事相の勧修寺流の根本道場である大本山勧修寺の末寺である成就院の住職で事相の講伝を受けたのである。

(1) 教相と事相

真言秘密の法を理論的方面を教相と言うに対し実践的方面の行軌を事相と称するもので、事相は造壇、誦咒、印契、観法、護摩等の意義作法を言うのであると述べ悪魔怨敵を調伏するための咒咀法、疾病を除去する息災、福寿長久、家内安全等の開運等事相の本分とする処である。

(2) 加持の本旨

加持とは加被し、受持すること、即ち感応道交のことであると述べ、神秘世界の存在を基調とする真言密教では無念無想一念堅持の三摩地法を以て即身成仏することは勿論種々の神通力を得る為めに瑜伽教は勿論種々の仏天のある。

(3) 祈祷の意義

祈祷は宗教的意識の上に反映せる欲望の発露であると共に苟も宗教の存する処には必ず祈祷がある、然し浄土真宗の如き宗派では祈祷を以て雑行雑修として之れを排斥するけれども真言宗教では成仏を目的とする出世間の修法の祈祷と共に現世利益の為めに合せ用ゆることになつて居る。之は何如なる理由に基くかと言うとそれは全く教格の異なる処で真言宗教では現実世界の外に浄土を求めず常恒現在主義の上から現実世界の実相に徹底すること、この現実の世界は唯一の世界でなく一表現に過ぎないのである。

(4) 護摩の意義

護摩とは三千年の昔から印度では火祠の法として今日に至るまで広く行われている、梵焼、火祭、火法と言つて火を梵き火中に物を投じ供養し祈願するのである、密教の修法として最も普通に行われているものであることを御理解を仰ぎたい。

第三、(省略)

第四、原審裁判所は憲法第二十条第一項の規定を無視し判決に影響を及ぼすべき法令の違反がある。

第一判決は法令の適用の題下に

『被告人の判示所為は刑法第二〇五条に該当するのでその犯罪について検討する。本件はいわゆる憑きものに対する俗信の一人の年若い女性を死に致らしめたものである。

憑きものが迷信であることは今日健全なる社会人にとつては自明のことのように思われるが世上のいわゆる狐憑き、狸憑きあるいは生霊憑き等と称する俗信がいまなおかなり根強く残つており、その為めに種々の人権侵害、社会的悲劇が発生している事実は憂慮に堪えない。これら一部の人々の無知を啓蒙するのもさることながら人の無知さと弱さにつけこみこれに寄生する市井のいわゆる『おがみ屋』ないし『おがみや』類似の行為は厳に撲滅排斥されなければならない。

被告人の心情は兎も角、本件における行為の外形それ自体は右の『おがみ屋』の夫れに似たものがありこれを法律上からみても不法なものであることは後段説示するとおりであつて』と判示して居る。

右判示は弁護人が前述の第一、第二に於て其の見解を述べたる如く、第一、偏見予断による事実の誤認と第二、審理を不尽経験則違反、採証に関する法則に違反し独断臆測を用いたる結果事実を誤認したものであつて其の誤認が判決に影響を及ぼしたものである。

神霊の憑依を始め動物の霊や人間の死霊、生霊などがつくという憑霊(つきもの)の事実は古来一般に不思議な現象とされて古い時代から世界各国に於て連えられている。これは所謂変態心理学の立場から解明すれば単なる意識分裂が人格変換にすぎないものであるかもしれない。然し今日の量子力学時代に於ても尚古代人の思想より脱することができないのである。

神が憑依者の口をかりて託宣を伝えるという信仰は西洋にも東洋にもあり、我国でも古くから強く存在していた。

神武天皇が御東征のさい八十タケルらが頑強に抵抗し皇軍の志気阻喪したとき、天皇が神主となられ、道臣命が斎主即ち審神(さにわ)となり諸神を祭られると、高皇産霊神の神霊が現れ皇軍の必勝をつげた神話、垂仁帝の御代に倭姫に対する天照大神の神託、仲哀帝の神功皇后が自ら神主となられて建内宿禰を審神として神懸りし神慮を託りたことなど(古事記、中巻、其の大后息長帯比売は其当時神懸り   建内宿禰が神を降し奉る)何れも神懸りだと云われている。大東亜戦争に於て大川周明らの神がかりがかなり軍内部の人達に影響を与えていたようである。

我国は明治維新の変革を遂げ法秩序が確立せない明治六年一月十五日教部省達二号を以て

『梓巫市並憑祈祷孤下げ等禁止の件

従来梓巫市子憑祈祷孤下け杯と相唱玉占口寄等之所業を以て人民を眩惑せしめ候儀自今一切禁止候条於右地方官此旨相心得管内取締法厳重可相立候事』との通達が為されている。

右通達は宗教上から問題があつて翌七年六月教部省達第二十二号同乙第三十三号明治十五年七月内務省達乙第四十二号同院第三号及明治四十一年九月内務省令第十六号所謂警察犯処罰令第二条第十七号『妄りに吉凶禍福を説き又は祈祷、符呪等を為し若しくは守札の類を授与し人を惑したる者』同十八号『病者に対し禁厭祈祷符呪等を為し又は神符、神水等を与へ医療を妨げたる者』と改められ其の内容は旧憲法の影響を受けて禁圧祈祷を以て医療を妨げる行為及び神官、僧侶に非ざる者は禁厭祈祷をしたり神社、寺院に非ずして守札等授与することを禁止したのであつたが新憲法の実施に伴い現在に於ては昭和二三年五月一日法律第三九号を以て軽犯罪法の施行により右警察犯処罰令は廃止せられ尚曩に宗教団体法の施行により法律と同等の効力を有していた太政官布告、布達、勅令、省令と同等の効力を有していた内務省達、教部省達の如きものは全部廃止になつて現在に於ては何等現存せない。それは憲法第二十条の信教の自由に抵触するが為に全部廃止されたものである。即ち禁厭、祈祷、符呪を為し、守札、神符、神水を授与することは何れも宗教行為であるからこれを禁止し又は制限を加ふが如きことは新憲法第二十条に於て保障する信教の自由権を侵害する為め之れを廃止したものである。

旧憲法二十八条は安寧秩序を妨げず臣民たる義務に背かざる限りに於て信教の自由を有すと規定する処であつて旧憲法の保障する信教の自由には社会の秩序である所謂公の秩序並に善良の風俗をも含み、又法律命令を遵守する義務等広範に亘つて制限を加えていたのであるが、新憲法は『信数の自由は何人に対しても之を保障する』と規定し一切の制限を徹廃するのみならず、宗教的行為えの参加の強制を禁止した為め警察犯処罰令第二条第十七号及び第十八号の規定を廃止し軽犯罪法にもこの規定を設けなかつたのである。

被告人が世志子に対して病気平癒の為めに加持祈祷を行つたのであるが右加持祈祷及び護摩は何れも宗教行為で其の宗教行為である加持祈祷及び護摩は被告人が真言宗山階派の左の規定に基き宗教教師たる資格分限を有する者である。

真言宗山階派宗制

第一章 総 則

第一条 本派は真言宗山階派と称す

第二条 本派は弘法大師立教の宗体に拠り小野の正統厳覚長吏並勧修寺流の元祖寛信法務の御法派を相承し真言秘密の教義を宣伝するを以て要旨とす

第四条 本派僧侶の法灯相続は左の順序による

一、得度 二、四度加行 三、授戒四、伝法灌頂 五、法流印可を受け

尚僧侶分限並教師に補任せられたる時には宗制

第七章 僧侶分限並教師

第五四条 本派に於て僧侶分限を取得するは度牒授与に依る度牒を授与すべきものは義務教育を終了し更に通常法式に用ひる経典を学得せしものに限る

第五五条 管長は四度加行成満伝法灌頂受了の者を教師に補任す

其の教師の名称等級を定むること左の如し

一級大僧正 二級権大僧正 三級中僧正 四級権中僧正 五級少僧正 六級権少僧正 七級大僧都 八級権大僧都 九級中僧都 十級権少僧都 十一級権少僧都 十二級権少僧都 十三級律師 十四級権律師 十五級教師試補

被告人は宗教教師として中僧都の僧階を有し最下の十五級教師試補より六階級上位にある九級教師で宗制第二条に基く弘法大師立教開宗による勧修寺流の秘密事相の法派を相承し真言秘密の教義を宣伝することを以て其の本務とするものであつて、被告人は大本山勧修寺第七世の長吏寛信大僧正の法流である勧修寺流の秘密事相とする加持祈祷及び護摩を行つたものである。

起訴状によると検察官が之れを以て擬似宗教なりとの見解の下に『線香護摩の方法は正規に受講したものでなく伝聞乃至見様御真似である』原審裁判所が『人の無智と弱さにつけこみこれに寄生する市井のいわゆる『おがみ屋』ないしおがみや類似の行為は厳に撲滅排斥されなければならない』云々と判示し検察官も前審裁判所も軌を一つにし措辞頗る巧妙であるが被告人を恰も『おがみや』類似の徒輩と見るの不法を敢てして居ると言うに至つては正に信教の自由権は保障されないものと言わなければならない。

斯くては憲法第二十条に於て保障する宗教なりや否やの認定は官憲の恣意により左右されるもので其の結果憲法に於て保障する信教の自由は侵害されるのである。政府は曩に大正十五年宗教制度調査委員会に審議を経、同年一月宗教法案を議会に提出した、右法案第一条には『本法其他の宗教法令は当該法令に別段の規定ある場合を除く外文部大臣の指定したる宗教に限り之を適用する』と規定して文部大臣をして宗教を指定せしむるが如きは宗教の神聖を冒涜するもので憲法第二十八条の信教の自由を害するものであると痛烈なる反対に遭つたことを想起すべきである。

山階派宗規第十一号懲戒条令

第七条 左項の一に該当する者は宗派擯斥に処す

一、宗意及宗租の遺訓に背き異議を

唱ふる者』と規定され唯に宗意及宗祖の遺訓に背きたる場合に於ても尚教師の資格を奪われ僧侶たる分限を剥奪されるに拘わらず被告人は今日に至る迄宗派管長より何等の懲戒処分を受けていない点より見るも被告人は弘法大師の教義に基き真言密教の加持祈祷護摩を行つたことを証するに余りあるであろう。

然るに原審裁判所は検察官と同じく被告人の加持祈祷を目して恰かも擬似宗教行為なりとの見解は誤れるも亦甚しいものと言わなければならない。

旧憲法第二十八条は安寧秩序を妨げず臣民たる義務に背かない限り信教の自由を有すと規定し、憲法は勿論其他の法令の規定に依つて諸々の制限があつた。

然るに我国は敗戦の結果ポツダム宣言を受諾し、言論、宗教及び思想の自由の尊重が確立せられ、爰に新憲法の第二十条の制定を見るに至つたのである、即ち憲法第二十条の第一項は信教の自由は何人に対しても之を保障する、其の二項に於て何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されないと規定する処であつて、第一項に於て国家は国民の信教の自由を侵こすとができない、国民は国家に対して信教の自由を侵されない、この信教の自由の保障は絶対的であつていかなる形を似てしても制限することは許されない、旧憲法下に於ては種々の制限はあつたが、新憲法はそのすべてを徹廃し宗教が真正のものと認められるものであると又擬似宗教を以て目されるものであるとを問わず、いやしくも宗教を信ずることは絶対的に自由であつて国権の介入を許さない、法律を以てしても制限することはできない、然らざれば本条の保障を受ける宗教なりや否やの認定に官憲の恣意が介入し結果的に信教の自由が侵害される危険があり得るからである、故に俗悪な擬似宗教が淘汰され真に保障に値する真の宗教が行われる様になるが為めには国民の良識と教養に期待すべく国権の介入によるべきものでない。

其の第二項は宗教上の行為を為すに付て国家より干渉を受けない宗教上の行為とは宗教の信仰を具体的に其の行為を以て実現することで宗教上の儀式、礼拝、祈祷を行い宗教上の堂宇を建て祭壇を設け加持祈祷の為めに護摩を修する等に干渉することを許さないと規定されて居る所である。

(中略)

次の判示には

『然し乍ら反面被告人が本件加持祈祷をするに至つたのは被害者泉世志子の両親が其の身寄りの者等からの願いによることであること、被告人が宗教教師としての立場上慾得を離れ一途に世志子の疾病平癒を願つた上でのことであり、而も世志子に対する暴行は被告人のみによつて為されたものではなく、被告人の明示若しくは黙示の指示によるものであるとは云へ寧ろ同人を最も愛する筈の肉身等の手によつて行なわれたものであつて同女の死に至らしめた責任の全部を被告人一人に負わしむることは酷で考えられること、其他被告人の経歴、日常の生活態度及び被害者の被告人に対する感情等諸般の情状を斟酌し』云々と判示して居る。

右判示は内容的に見て首肯し得ないのみか却つて反対すべきものもあるが、然し乍ら裁判所は被害者世志子の死亡と言うことを重大視し世志子に対する同情の余り之れを高く評価されて居る為めに予断と偏見に陥り真実を把握することが出来なかつた事を弁護人としては頗る遺憾とする処である。

前述した如く被告人の世志子に対する病気平癒を翼う為めに行つた加持祈祷、護摩は所謂宗教行為で、裁判所は真言密教に於ける所謂三密瑜伽の秘法である加持祈祷護摩の本質を理解せずして迷信、無智の所業であると解するの誤りから斯の如き見解を採るに至つたものである。弁護人は幾度も本件被告事件を審理する上に於て最も肝要なることは弘法大師が立教開示の本旨とする三密瑜伽の秘法である、加持祈祷、護摩の本質を解明するにありと信じ加持祈祷、護摩の本質を明かにすると共に真言密教の根本を為す真言密教の宇宙観、神秘実在等に亘り権威ある宗教学者の所説なることを明かにして詳細に亘つて之れを論証したのであるが裁判所は毫も之れを省りみないことは甚だ不満に堪えない。

被告人が過去に於ける数多き経験に基き自己の加持祈祷護摩によつて世志子の病気が平癒するものなりとの確信の下に真言密教の加持祈祷、護摩を行つたもので世志子の身体に暴行を加えるが如きことはあり得べきものでなく、況んや傷害は勿論暴行の確認は毫末も存在せない。

傷害罪は他の犯罪と同様犯意を必要とするから行為者が善意であつて自己の加持祈祷、護摩を修することにより病気が平癒することを信じて行つたのであるから世志子に対して暴行傷害の犯意は毫末も存在せなかつた。

其余の点に付ては前記第一、第二に於て述べて居るので重複を避けることとする。

第五、(省略)

第六、原判決は刑法第三十五条の規定に違反し且つ憲法第二十条第一項の信教の自由に反する無効のものである。

原判決は弁護人の主張に対する判断の二として

『二、次に弁護人は被告人の所為は宗教教師として正当の業務行為であるから刑法第三五条によつて違法性が阻却せられる旨主張するので…当該行為の目的、法益侵害の態様侵害した法益の価値、程度その他諸般の事情を検討した上、健全な社会通念に照し行為が公の秩序善良の風俗に反しないものと認められるものかどうかによつて決せられる』

右判示は従来の学説、判例から見て異説であると信ず、然し乍ら弁護人は之れに首肯することが出来ない。

正当行為とは正当防衛を始め自力救済、同意に基く行為等は総て正当行為の一種であるが、尚法令又は正当の業務による行為も亦正当行為の一種である。通説は正当行為は法令又は正当の業務ばかりでなく法令や業務に関係なく正当防衛、緊急危難にもならない他の一切の正当な行為を含むもので刑法第三五条は正当な行為の内重要なものを上げたるに止まり、それを以て一切の正当な行為を法規的に上げつくしている訳ではない、この外に尚正当行為は存在する筈である。

犯罪の構成要件は不法な行為の法律的定型であり、その概念的規定で不法な行為とは客観的に違法であり、而も主観的に非難に値する、道義的責任ある行為である。

その実質は倫理的な非行であり、反道義的行為で而も刑罰に値するとされたもので行為の違法性と行為者の道義的責任性とをその中に内含している。

然し一応犯罪事実が認められるとしても、法律上その犯罪の成立を阻却する原因があることを主張して、その事実を立証することが出来る。若しそれが証明されるならば被告人は罪とならない。違法性又は道義的責任を阻却する事実で、法律的定型として規定されたもの、正当防衛、心神喪失、法令に基く行為、業務行為等は即ち法律上犯罪の成立を阻却する原因である。

今本件の被告事件に付て之れを見るに被告人に於て違法行為の存在を否定する。仮りに形式的に構成要件に該当する行為ありとするも実質的には正当の業務行為として違法性を欠くものである。又構成要件に該当し、実質的にも違法な行為であつても、責任がなければ犯罪は成立しない。構成要件に該当する違法な行為をした者に対し非難を加えるにはそれに相当するだけの主観的状態が備わらなければならない責任があるとして刑法的非難を加える為めには尠くとも相対的意味に於て、意思自由の存することが前提とならなければならない。相対的にでも意思の自由があるとするには、行為者の置かれた事態が行為者の行動に自由を与えるものでなくてはならない。行為者が右に行こうと思へば右に行くこともできるし、左に行こうと思えば左に行くこともできると言う状態、言い換えれば罪を犯すことも犯さないことも或る程度は自由になし得る状態にありながら敢て罪を犯すならば、その者は罪を犯さない道を放棄して犯罪えの道を選んだのであるからそのことに対して刑法的非難を受けなければならない。然しこれと異り左右のうち右へだけ行くように運命づけられている状態、違法行為えの道のみが開かれている状態に於てその道を避ける自由を有しないのであるから、人がその道を執つたとしても、これに刑法的非難を加えることはできない。このように尠くとも相対的に自由選択の与えられている場合に於て始めて行為者に刑法的非難を加えることができる。即ち行為者の責任を問うことが可能となる。この自由選択の可能性の存することが責任の前提である。

本件が正当行為なりとの弁護人の見解に付ては原審の最終弁論に於て之れを詳述すると共に原審裁判所に弁論の要旨として第一乃至第八に於て詳述して居るので爰に之れを省略するのであるが御庁に於ては御参照を仰ぎたい。

次の原審の

『尚憲法第二十条は国民の基本的人権の一つとして信教の自由を保障し……信教の自由の行使が絶対無制限であると言うことにはならない、社会共同生活に於ける限界あることを否む訳には行かない、被害者世志子の精神異常の回癒を祈願する為めに線香護摩による加持祈祷の行として為されたものであるが……健全な社会人の常識に照して著しく公の秩序又は善良の風俗に反するものがある……正当な業務行為と認め難し』と判示して居る。

憲法第二十条は『信教の自由は何人に対しても之れを保障する』と規定し、これに依り国民は信教の自由を侵されないことを国家に対して主張することが出来る。即ち国民は何等かの宗教を信ずることが出来ると共に何等の宗教をも信ぜざるも其の自由で、国家より干渉を受けない。宗教信仰の如何に依つて利益又は不利益を与え其の信仰に影響を及ぼすことも干渉であり、又其の第二項に於て、何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制せられない等広範囲に亘つて信教の自由を規定して居るのである。

佐々木博士は日本憲法要論に於て旧憲法第二十八条を引用し『宗教的行為の自由とは宗教的行為を行うことに付国家より制限せられざることを謂う。換言せば臣民が任意に之を決定し国家より干渉せられざることなり。国家の干渉に直接及び間接のあることは信仰の自由に於けると同じ。宗教的行為とは宗教の信仰を其の行為に於て具体的に実現することなり、例宗教上の儀式、礼拝、祈祷を行い宗教上の堂宇、祭壇を設くるが如し』美濃部博士は憲法提要に於て『憲法の保障する信教の自由は宗教上の儀式、礼拝、其他の行為を行い、寺院、堂宇、教会、説教所、礼拝所の類を設け宗教上の宣伝を為し宗教に関する集会、結社を為すの自由を包含す』と述べて居られる。

我国は上古即ち王朝時代、武家時代殊に徳川時代に於ては、信教の自由と言うものはなかつた。

旧憲法は信教の自由を規定して居るが太政官布達、其他の行政法令に依つて、幾多の制限があり、真の意味に於ける信教の自由は新憲法に依つて始めて其の実現を見るに至つたのである。然しこの新憲法第二十条も欧米、殊にアメリカの憲法を模したものでポツダム宣言の受諾に依り信教の自由が確保され、宗教法人令の制定を見るに至り、宗教団体に法人格と諸々の特点が与えられ、明治三十二年山県内閣以来の懸案で、昭和十四年田中文相当時の制定になつた宗教団体法は之れに依つて廃止され、教派、宗派、教団、寺院、教会の設立、合併、解散、管長等の就任が悉く自由になり官庁の認可を要せず、届出すら必要がないのみならず、其の監督取締はなくなり、完全な自由が認められたのである。

由来アメリカは宗教を以て出来た国である。アメリカン・デモクラシイと言うのは、他の経済や文化の面のデモクラシイは、後からついて来たのであるが、アメリカの憲法を見てもワシントンの第一次大統領となる前に、アメリカの憲法が出来て居たが、それは僅かに七ケ条しかない、これはアメリカの政府の組織を書いたもので立法議会、大統領と裁判所、各州と中央政府との関係、憲法改正問題等を規定して居たものである。処がワシントンが大統領になつた時に、十ケ条の追加が出たが、其の第一ケ条は信教の自由であつて、他の如何なる事由が束縛されても、宗教だけは絶対に拘束しないからである。

我国の旧憲法は『臣民の権利義務』として君主から恩恵的に与えられたが緊急勅令や非常大権命令によつても直ちに制限せられるような自由権に過ぎない、然るに憲法は敗戦の結果旧憲法時代の国民意識を一掃して人権意識の覚醒を促し憲法は所謂自由権的人権と共に生存権的人権を保障することを掲げ、更にアメリカの司法権優越の憲法思想に裏付けされて旧憲法の基本的人権の保障についての制限である『法律の定むる所に従ひ』『法律の範囲内に於て』『特に憲法第二十八条の如く安寧秩序を妨げず国民の義務に背かない範囲に於て』と言う様に所謂法律の留保を全廃して基本的人権が『侵すことのできない永久の権利』であることを明確に宣言し近代民主主義国家の要件としての基本的人権の地位を確立したのである。

唯憲法第十二条は『この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又国民はこれを濫用してはならないのであつて常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う』と定め憲法第十三条は『すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする』と定め前者は国民の、後者は国の、夫々基本的人権の行使の態度について規定し、基本的人権の指導観念としての公共の福祉につき規定している。右憲法第十二条及び十三条は国民及び国家の基本的人権行使の態度が公共の福祉に副うよう行使せらるべきであるという教訓的規定であり、この規定の存在により前記諸基本的人権が公共の福祉により制限せられるものではない。

それは憲法上の基本的人権が各国に於ける民主政治の長い歴史の過程に於て行政権からの自由、立法権からの自由と強化して来たものであり、且つ我憲法がアメリカ合衆国憲法修正第一条と共に右思想の発展の先端に立つ歴史的所産であることを思えば、我憲法上の基本的人権は正にあらゆる権威から不可侵性の絶対無制限的存在であることを知らねばならぬ。

憲法第十二条及び第十三条は公共の福祉により基本的人権を制限し得るとなすことは、近代民主主義国家が正に国民の基本的人権を保障するためのみに存在するという基本的原則を充分顧慮せずして超越する国家目的、理想を有するとする前代思想的立場に捉われているところに由来するもので或権威の下に甘んじさせんとするものである。憲法の解釈は国の制度についての基本的法の場合は特に単なる文理解釈でなく、その法の有する目的を、歴史的に、思想的に把握し、それに沿つて為さるべきものでなければならない。

原判決は事実の認定と共に法令の解釈を誤まり違法の判決と言わなければならない。

右の理由に依り被告人の行為は犯罪の構成要件を欠き違法有責の行為として処罰に値いしないのみならず、仮りに違法の事実が認めらるるものありとするも法律上違法性を阻却する正当の業務行為をなしたるものであるから犯罪は成立を阻却するものであると主張するものである。

尚原審は第一審判決をし全面的に支持し判示理由を妥当なるものと認定し而も何等特異の見解を示していないのであるが弁護人は本件上告理由に付御理解を仰ぐ上に於て如何に之れを作成するかに付慎重なる考慮を払つたのであるが、結局原審に対する訴訟の趣意書に基いて上告理由を陳述するの止むを得ないことは、頗る遺憾とするところである。然し乍ら弁護人の最も憂うるところのものは本件の判決により一般社会、殊に憲法の保障する信教の自由権に及ぼす影響につき重大なる関心を持たざるを得なかつた。

思うに一得一失は数の免がれないところで第一審並びに原審は誤つた見解に立ち被告人に臨んでいるもので、これは思わざるの甚だしいものと言わざるを得ぬ。

原審裁判所が重大なる誤認と憲法の規定を無視し、被告人に対し、刑罰を加ふるが如きは寧ろ一利を得て百害を加ふるものであり、裁判官各位は素より識者の考慮を要する問題であると信ず。

本件判決は裁判官の意図するものを遙かに超え、社会に及ぼす影響の極めて甚大なるものがあり却つて反対の結果を来たすことを深く考慮すべきものであると信ずる。

以上の理由により被告人は原審判決を不服として爰に上告趣意書を提出した次第であります。      以 上

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